越前すげ笠
※「すげがさ」の漢字を含む表記については、「菅笠」や「すげ笠」など混在しています。このページ上では「すげ笠」で統一します。

【すげ田のすげ刈】
清水杉谷町では、慣例で8月1日(※)がすげ田のすげ刈の日と決まっていましたが、近年は、昨今の人手の事情により7月最終日曜日(※)に菅刈を行ってます。
(※)天気に左右されます。

【すげ笠の骨ぐみ】
竹を割って笠の骨組を作ります。男性のお仕事になります。竹は切り芯を考えつつ行わなければ綺麗な円形に仕上がりません。長年の経験や勘が求められる作業です。


【笠縫い】
まず、下ごしらえの[ささ掛け]から笠縫いは始まります。[ささ掛け]とは、水に濡らした すげ を骨に下まきする作業のことで主に子どもたちの仕事でした。この[ささ掛け]は秋すぎまでには終わらせ、冬には本格的な[笠縫い]シーズンに入ります。
【すげ笠の歴史】
すげ笠は万葉集の中にすげ笠縫を歌われたものがあるなど、千年以上の大昔から使われていたものと思われます。
【すげ笠の由来】
奈良県に「笠縫邑」(かさぬいのむら)という地があったとされ(現在の奈良県田原本町新木(にき)、又は奈良県桜井市三輪とも云われていますがはっきりしていません。)、大阪の深江の神社には、大和(奈良)の笠縫氏(笠縫邑出身の者の事と思われます。)がすげ笠を伝えたという記録があることから、大和の笠縫がすげ笠の元祖ではないかと言われています。
【すげ笠の利用】
ずっと昔は、高貴な人が使用したものと思われますが、江戸時代には一般庶民にも日よけとして広がり、特に百姓(農家)には田植えや草取りなど、日常生活の必需品としてなくてはならないものとなりました。
その後、明治時代の初めごろを頂点として、文明開化とともに乗り物が変わり、大正時代のハイカラ風潮に推されて百姓も次第に使用しなくなってきました。第二次世界大戦後、農作業の機械化が一気に進み、農家の服装まで一遍し、すげ笠産地外ではほとんど使用されなくなりました。
【すげ笠の生産】
すげ笠生産の最盛期には全国各地で大量に生産され、旧清水町でも主産地の杉谷村・三留村・小羽村・風巻村・上天下村・下天下村・田尻栃谷村にて古くから作られ、明治時代の後期に最も多く、昭和時代に入ってやや衰え、昭和14・15年頃よりまた盛んになってきました。第二次世界大戦後は需要の激減によって全く衰え現在に至っています。
なお、福井県にすげ笠の生産が伝わったのは石川県金沢市付近からだといわれています。
【すげ笠の特徴】
すげ笠の特徴は、使用する「すげ(菅)草」の性質上、雨の時は水を含むので雨を通しません。日よけとして使う際には葉と葉の隙間が乾燥によって広がり風が通り、又、草の葉であるため熱は通さないという良いことづくめのアイテムです。しかも、大変軽く丈夫に作られています。
【すげ笠に関する問い合わせ】
すげ笠は全て手作りであり、生産者も少人数となってしまったことから、大量生産、受注は大変困難な状況です。そのため、すげ笠に関する問い合わせは清水東公民館で対応いたします。

令和7年11月、今年も清水東小学校ですげ笠づくり体験学習が開催されました。参加者は5年生の児童のみなさんです。

すげの成長(清水杉谷町、小羽町)
清水東地区内には、すげ田が3カ所あります。そのすげ田の成長のようすを動画とPDFファイルでまとめてみました。
■清水杉谷町〔動画 PDF〕 ■清水東小学校東側〔動画 PDF〕 ■小羽町〔動画 PDF〕
〇 すげの成長(主に清水杉谷町) の紹介MOVE
■約5分30秒のショート版動画はこちらです。(YouTubeにジャンプします。)
■約12分44秒の動画です。 ■閲覧ブラウザによってはストリーミングに対応していない場合があります。ダウンロードしてお楽しみください。容量は約48.4MB(MP4)です。 ■動画の解像度はアップロード容量の都合により変則的な320p(480×320p)です。そのため、少々粗く仕上がっています。 ■高解像度の動画データをご希望の場合は、公民館までご連絡ください。 ■清水東公民館の動画(YouTubu)公開ページではフルサイズ動画をUPしてあります。
上で紹介している動画の内容をPDFファイルでまとめてみました。
平成30年7月29日、清水杉谷町で行われましたすげ刈取りの様子を動画でまとめてみました。


